私は自分を「本の読める」人間だと勘違いしてたけど、これってただ「文字が読めて理解できる」ってだけだったのかもなあ、って今まで読んだ本に謝りたい気分になりました。
10代の頃は良く本を読んでいて、その時に檸檬も読みましたが、子供の私には心情理解に至る人生の経験とかが少なすぎて「本屋荒らして檸檬置いて、あれが爆弾だったら愉快だなとか危険人物じゃん、そんで終わり?何が言いたいんだろう?これが世の中では名作って変なの」といった感想しか持ってませんでした。
みくのしんさんが楽しそうに読んでるのにつられて、一緒に一文一文を噛み締めていくと、「外側から文章を読む」のが読書なんじゃないんだ、中に自分を見出すこととか、作者の目を借りて世界を見ることだとか、自分だけじゃ知り得ない「だれか側」からのアングルで世界を味わう事が読書の真髄なのか!と目が開く思いでした。
みくのしんさんは無邪気で突拍子もなくて、なのに鋭く深く共感を得ていて、難しい言葉や感情の澱んだ中からも「こうなんだね」って結晶を迷わず拾いあげるみたいな読解力があるので本当に驚かされます。
その読書のスタイルは、決して茶々を入れるだけとは違っていて、『常識』とか『普通は…』とかそういうつまらないフィルターを消してくれるような力があると思います。
あんなに「意味わからん」本だった『檸檬』が、こんなに愉快で小気味いい文学だったのかぁ、とまるきり違う作品のように感じられました。
見守るかまどさんの姿勢も徹底してあたたかく大きくて、え?理想の国語教師概念?となりました。二度泣きました。
買い物のシーンを楽しんでくれるかと思って、っていう理由も温かすぎる…普通は好きな本を推したいところなのに、楽しめるものを考えて勧めてるというのもいいし、それに対して全力で理解して爆発みたいな共感をしてみくのしんさんが楽しんで、それを見てかまどさんがすげーなって思ってるのも本当に良いです、二人と本の間でエネルギーが減速してない感じ。
読書のイメージは静なのに、こんなに動の読書あんの?と思わされるところも本当にいい…
決して本文に対するツッコミやいじりじゃないのも良い、「そうなんだ!」「そうするんだ!」って全部汲み取っていってくれる包容力…ほんとにこんな最高の読者とそれを見守ってくれる守護神みたいな存在って他に居ます…?唯一無二すぎるコンビ…