一気に読める。爽やかな読後感との書評が多数。確かにそのとおり。しかし、カエルの楽園と同じく比喩に富んだ作品とも。模試への挑戦、文化祭の演劇、殺人犯探しの3つの物語が同時に進む。これらが意味するところは、知、情、意ではと。人間の成長に欠かせない3つの軸で、作者は立体的に少年の成長を語る。
登場人物に目を向けると、その真偽が反転したり、対照的な人物が交互に描がかれていて、隠れたメッセージを読み取ることができる。たとえば、担任の若い先生と、演劇を指導する中年の先生。双方とも三段階で評価が入れ替わるのだが、作者が教育者は知識だけでダメだ。愛が必要だと言っているように感じる。そうはいっても、大人たちは物語の脇役に過ぎない。少年たちの将来を示すロールモデルと読むと面白い。
学校と秘密基地。これも対比をなしている。学校教育は社会に出るための準備であり、決められた時間での、集団での学習は、労働と変わらない。学校とは強制的に人間を矯正する監獄とたとえることもできる。その反対概念としての秘密基地。人に知られたくない、アウトローな、人間性を取り戻すための棲み処だ。
これだけだなく、労働(ここでは勉強)、暴力(散発的に度々描かれる)、貨幣(コインコンチョの謎)についての作者のメッセージを感じさせる。結構哲学的なのだ。社会哲学の知識がないと表現しないだろうエピソードや小道具が描かれ、深読み(勝手な解釈)をすると、マルクス主義批判と感じるところもある。
小説の中で、コインコンチョなるものがなぜ登場したのか。それには訳があるだろう。これについては何処かで書きたい。コンチョと殺人者との結びつきが何を意味するのか、大いに想像を掻き立てる。貨幣と死、「コンチョの謎」である。
三人の少年と一人の少女は、つらい経験を通して体得した思いやり、他人の個性を尊重する心で結ばれ、学び合い、支え合うことで人生を切り開いていく。これはまさしく日本人、日本人の歴史ではなかろうか。日本国紀と共通するメッセージ感じる。
そして、人生は変えることができる。勇気があれば。いかなる歴史を背負おうとも。これが作者の最大のメッセージであることは、どうやら間違い無いようだ。