マルクス・アウレリウス、五賢帝最後のローマ皇帝、哲人皇帝として有名な人である。しかし、彼の統治した時代は既にパックス・ロマーナが崩壊に面した危機の時代であった。蛮族の侵入が相次ぎ、彼は首都ローマと前線の間を往復する人生を送ることとなる。そんな彼が信奉するストア哲学に基づき日々の所感を綴ったのが本書である。したがって、本書は整合性のある作品ではない。同じような訓戒が何度も繰り返させる。それゆえ通読向きではない。アウレリウスと同様に日々少しづつ読んでいくのがよいのではと思う。ストア哲学はキリスト教以前の哲学である。したがって、人生は現世で完結し来世による救済などない。また、絶対者として服従を強制する一神教の「神」は存在しない。神なき世界で人間を善に導くのは「指導理性」である。人間は指導理性に従い、現世における人格の完成を目指さなければならない。「死」はデモクリトス以来の「原子論」を採用するストア哲学にとって重要な問題ではない。原子が集合した形成された個人が原子に還元されるだけの意味しかない。ニーチェによって否定された「神なき世界」に生きる現代人にとって本書に描かれるアウレリウスの生き方は、「強く生きること」を示唆するものではないだろうか。