三島文学の中でも特異なひとつとされる「潮騒」。伊勢湾に浮かぶ「歌島」を舞台に、ひとりの青年とひとりの少女が出会い、恋に落ちる。
しかし、昨今の「恋愛小説」とは全く異なり、歌島で漁師として生きる主人公の背景が、ありありと浮かんでくる。情景と心情と、そして島に生きる人々の心が、まさに不離のものとして描かれ、それがとても自然なものに思えるのだ。
この歳になり、ひとは土地から切り離して生きることは出来ないのではないか、と思うようになった。どんな土地に行っても、自分の生まれ育った所に近い何かを探してしまう自分を感じる。平たく言えば「心の故郷」と言えようか。
戦後、変わっていく我が国を見た三島が、改めて「日本とそこに住む人々」を描くにあたって選んだのがこの「歌島」だったのではないか。