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皆さん、僕と母さんは元気だよ。
地震後の先週は、満員すし詰め通勤に苦労して、治ったと喜んでいた腰痛で身体が悲鳴を上げています。とにかく疲れがたまっています。 被災地の皆さんはこんなもんじゃないんだろうと思いますよ。 あの日、止まらぬ揺れに、みんなは柱や、机の下に潜り込みしがみつき 振り飛ばされないように必死でした。そして頭をよぎるのは ついに、関東大震災来たか。 大きな突き上げる衝撃はなかったものの、ゆったりとした横揺れが酷かったです。 揺れが収まり、外に出てみると幹線道路の大きな道路標識が ゆらゆら揺れてました。足元の大地の揺れも何かに掴ってないと立っておれませんでした。 大きな余震が夕方まで続いてましたので隠れたり、外に出たりしながらも 仕事を続けてました。私も定時5時までしっかり予定の仕事を終えました。 来週はどうなっているかわからないし~ と思いながら。 この時は、宮城で地震があったことは知っていましたが被災状態がどんなかも知りません でした。あんな大きな津波が押し寄せて大変な事になっていたのを知らずにいたので、 こんな事をしてたんでしょうね。 あの映像を見ていれば、普通の地震でなかったことは一目瞭然でした。 なんでこんな時に、こんな風に仕事を続けないといけないのか! どうしたらいいのですかと?上司に何度も言ったのに。 社長は外出中だったから? 会社の対応に疑問 退社時に会社に泊まってもいいとも言われず、息子の住まいが隣駅近くだったので 上手くいけば泊まれるかと言う甘い思いがあったせいか隣駅を目指して歩き始めました。 そうだよ。母さんの考えは甘いのだにゃ。 歩き始めた5時過ぎから地震発生時に送った子供達の返事がようやく届きはじめました。 みんな無事らしくほっとしました。 息子からは、最悪泊まったらと書かれていたのが、初めて歩くので何時に着くのかわからなかったので近くに着いたら再度メールすると返信した。 この時に待ち合わせ場所を決めておくべきだった。 目指す駅近くになると携帯が圏外になってお手上げになってしまった。 JRも私鉄も完全ストップでシャッターが降りてます。 頼るはバス。それもやがて寸断されて取りやめになってしまった。 大きな問題は、これまで息子のアパートには行ったことがなかった。 どうしたら会えるのか! 公衆電話の長い行列に並らんで、息子の携帯に電話しても繋がらない。 隣県に住む兄に息子へのメッセージを伝えてバス停近くで不安げに待っていた。 夜になって寒さも厳しくなり不安なりながら待っていたら、 携帯が鳴った。繋がった。息子からだ。嬉しかった~ 川崎駅の時計台で待っているので、迎えに来てと頼んだ。 そして何とか彼の住まいに。9時近かかった。会社を出て4時間。 ようやくテレビであの津波と、被災地の状態を観た。酷い。 また、この時は、まだなぜ彼がこれたのかわかっていなかった。 よく考えれば、金曜日。彼も会社のはず。電車が止まっているのにここ迄戻ってこれないはず。たまたま幸運に彼は振り休で家にいたんです。 ここから我が家まで歩けば6~7時間かかるって。道もわからないし、歩いたことも無い。 これで済むかもわからなかった。 なんとか余震に震えながらも、屋根の下で寝れました。 テレビでは帰宅難民を移し始めていた。 神様、ありがとう。 しじみは元気かな~ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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