もし一度読んでわからなかったり、ぴんと来なくても、別のときに読んだら発見がある。スピリチュアルな本にはそういう本が時々あります。書かれた方が、どれくらいの精神の深さを体得されているかが、深い本であるかどうかの決め手になる気がします。
ほんとうに最終のサマディまで到達した聖者が書かれた本なので、読み返すたびに新たな気づきがあります。一文一文が、深い知恵からの言葉でありますが、その知恵を受け取る者の精神の成長度合いが、それをどのくらい深く受け取れるかを決めるのです。ですから、それまで無意識に読み流していたところが、あるとき急に大きな意味をもって「気づき」となってダイレクトに心に届くのです。
はっきり言って、この本がこのお値段は安すぎるくらい、読む者の精神の成長にあわせて、どこまでも深い知恵が秘められ、それが開示されていくかのよう。
聖者の言葉を理解するのは、その読む者の精神の成長の程度によって、浅くも深くもなり、心の奥深くに響くか響かないかも変化します。いまのあなたは、どれくらいの知恵の深みを、この本から汲み出すことができ、数年後のあなたは、どれくらいの知恵の深みを、この本から汲み出すことができるでしょうか。
そういう本だと思います。